konami21’s diary

少ないもので幸せに暮らす

思考をシンプルにする②

長女編

先日、長女の部活の大会があり見に行きました。
会場のトイレに行った帰り、なんか見覚えのあるおばさんとすれ違いました。

え⁈姑!なんで、なんでここに居るの。

プチパニックになりました。

帰り道、夫にそのことを伝えると、え?なんでやろ?とぼけた答えしか返ってきません。

嫌な予感がしたので、長女には声をかけずに帰りました。姑は、きっとどこかで私達の様子を伺っていて、会場のどこに長女がいるか突き止めるだろうと思ったからです。

暫くして、長女が家に帰って来ました。

おばあさんが来てた。そして、わたしのことを探していた。そういうことするの本当にやめて欲しい。ママやわたしたちにどんなことをしたか知ってる。会いたいなんて全く思わない、と。

姑は大会が終わってから、たまたまですが長女の友達に○○○○は、どこにいますか?わたしは、おばあちゃんですと言ったようです。
あの辺りにいますとお友達は答えたようで、その後、長女に伝えに来てくれたようです。

長女は、ビックリして、祖母にここに居ること言わないで、絶対に言わないでって友達にお願いして、うちの事情を少し知っている長女のお友達がずっとかくまってくれたようです。

わたしは怒りで頭がおかしくなりそうでした。

夫も長女の言ったことを聞いていました。
夫は、娘が嫌がることをしてはいけないと注意すると約束してくれました。

ずっとどうするべきなのか考え、何が起こっているのか冷静に考えられるようになるまで少し時間が必要でした。

思考をシンプルにすると見えてくるものが必ずあります。

姑は70歳を過ぎてようやく多分最後であろう人生の学びの時期に入ったのではないでしょうか。自分が蒔いた種は自分で刈り取る。

姑は相手の立場に立って物事を考える力が劇的に欠けています。今、なぜ孫が自分に会ってくれないのか、謙虚に考えるときだと思います。

姑が残した唯一の美しい実である孫からこのことを学ばなければならないということは、間違いなく偶然ではなく必然だったとわたしは考えます。

娘がわたしのカタキを取ってくれているという考え方から、反面教師としてここまで体を張って教えてくれている姑に感謝の気持ちさえ湧いてきそうです。

この後の姑の言動をしっかと見届けさせて貰います。ガンバレ、姑。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

良い1日をお過ごしください。